インストラクター・ダイビングショップが知るべき「水中肺水腫(IPE)」完全対応ガイド

インストラクター・ダイビングショップ向け

あなたのゲストを守るために
IPE(水中肺水腫)を知ってください

水中での原因不明の呼吸困難。それは器材の故障ではなく、命に関わる医学的緊急事態かもしれません。認識・対応・その後の対処まで、ダイビングメディスン専門医がまとめました。

なぜインストラクターがIPEを知る必要があるのか

ダイビング関連死亡の主要な直接死因の一つが、未認識・誤対応のIPEです。問題は、IPEの79%が水中で発症するという点にあります。つまり、発症した当事者は自分の状態を適切に判断できない状況に置かれており、バディやインストラクターが水中で気づき、適切に対応することが命綱になります。

日本特有の問題点:欧州・豪州・米国の競技・軍用領域では医療証明書の提出義務化が進んでいますが、日本のダイビングショップの大多数は潜水者に対して医師による事前評価を求めていません。インストラクターがIPEの知識を持つことが、現場の最後の安全網となっています。

IPEとは何か — インストラクターが理解すべき要点

IPE(Immersion Pulmonary Edema)は、水中に浸かることで肺の毛細血管から液体が漏れ出し、肺胞に溜まる急性肺水腫です。溺水(誤嚥)とは全く別のメカニズムで、外部からの水の吸入ではありません。

なぜ水中に入るだけで肺に水が溜まるのか

水中浸水だけで、末梢の血液が胸郭中枢に約500〜700 mL再分配されます。これにより肺動脈圧と肺毛細血管楔入圧が急上昇し、肺胞-毛細血管膜が破綻。液体(ときに血液成分)が肺胞内に流れ込みます。冷水・激しい運動・タイトなウェットスーツ・高血圧が重なるほど発症しやすくなります。

スクーバ特有のリスク
  • 水面下で立位の場合、肺中心に陰圧がかかる
  • OC(開回路)立位:約−12〜−15 cmH₂O
  • バックマウントCCR腹臥位:約−10 cmH₂O
  • 高酸素血症による肺血管収縮・徐脈
増悪因子
  • 冷水(血管収縮→後負荷増大)
  • タイトなフルスーツウェットスーツ
  • 激しい運動(急な高強度スタート)
  • βブロッカー・NSAIDsの服用

あなたのゲストのうち、誰が高リスクか

インストラクターとして、ダイブ前のブリーフィング・問診で以下の項目を確認することが推奨されます。特に複数のリスク因子が重なる方への注意が必要です。

最高リスク — 潜水前に医師確認を強く勧めるべき
IPEの既往がある(再発率22〜30%)
高血圧がある(リスク約5倍)
61歳以上(リスク13倍)
βブロッカー服用中
注意が必要なプロフィール
  • 50歳以上の女性(リスクが特に高い)
  • 心臓弁膜症・心筋症の既往
  • NSAIDs(ロキソニン等)を常用
  • 喘息の既往(再発の独立予測因子)
  • 糖尿病・腎臓病の既往
ダイブ当日に確認すべき状況
  • 体調不良・睡眠不足・過労
  • 過剰な水分摂取(ハイドレーション過多)
  • ウォームアップなしの急な激しい運動
  • 高抵抗・整備不良のレギュレーター

水中で見逃してはいけないサイン

IPEは器材トラブルと間違えられることが多い病態です。バディが「おかしい」と感じたら即中止が鉄則です。

緊急サイン — 即浮上

  • レギュレーターから過剰な泡・異常な排気
  • 呼吸数が急激に増加している
  • ピンク色・泡状の痰(マスク内への漏れ)
  • チアノーゼ(くちびる・指先の変色)
  • 意識の変容・反応が鈍い

早期サイン — 要観察・準備

  • 強い咳が続く(器材を何度も確認する)
  • 普段より明らかに息を切らしている
  • パニック様のサイン・焦りの表情
  • 強制的に浮上しようとする動き
  • 急な著しい疲労感・動作の鈍化

重要:「レギュレーターが壊れた」とサインを出した場合でも、器材チェックが正常なら即IPEを疑ってください。器材の確認中に浮上が遅れたことが致死的転帰につながった事例があります。

緊急時の対応手順

EMERGENCY PROTOCOL — IPE疑い時の対応
1
ダイブを即中止
サインを確認次第すぐに中止。「少し様子を見る」は禁物。
2
安全浮上(コントロールされた浮上)
症状が軽ければ減圧停止を実施。重症・意識変容があれば省略して直ちに浮上。途中で状態悪化があれば浮上を優先。
3
水から引き上げる
すぐに水面へ。ウェットスーツ・BCDを脱がせて静脈還流を減らす。
4
座位をとらせる(起坐位)
横に寝かせない。座った状態(起坐位)が肺への血液集中を軽減し、呼吸を楽にする。
5
緊急酸素を投与する
水面に常備している緊急酸素をフェイスマスクで高流量投与。ない場合は直ちに救急要請。
6
保温する
血管収縮・後負荷増大を防ぐため、冷えている場合は保温。
7
救急搬送(119番)
「水から出たら良くなった」でも搬送する。SpO₂が95%以下なら即119番。発症状況・投与した酸素量・症状の経過を救急隊に伝える。

絶対にやってはいけないこと

高気圧チャンバー(再圧)に入れない
これがIPEにおける最も重要な「やってはいけないこと」です。IPEは減圧症ではありません。高圧環境に入れると血行動態負荷・低酸素が悪化し、致死的になりえます。症状が似ていても、チャンバーへの搬送は誤りです。
「水を飲んだだけ」「喘息の発作だろう」と安易に診断しない
IPEは誤嚥・喘息・減圧症と症状が似ており、誤診されやすい病態です。鑑別は医師が行うものです。インストラクターは診断せず、搬送することに徹してください。
「良くなったからOK」と病院受診をスキップさせない
水から出ると症状が急速に改善することがIPEの特徴です。「治った」に見えても、心臓への影響(トロポニン上昇・心機能異常)は数日で正常化するため、早急な検査が必要です。数日後では見逃されます。
輸液(点滴)を大量に入れない
IPEは脱水が原因ではありません。過剰な輸液は肺の状態を悪化させます。

事後対応:記録・報告・ゲストへの案内

記録すべきこと

  • 発症時刻・水深・水温・活動強度
  • 最初に気づいたサイン(誰が・何を)
  • 浮上時の状態・水面でのSpO₂値(あれば)
  • 投与した酸素量・方法・時間
  • 搬送先・担当医師名
  • ゲストの既往歴・服用薬(把握している範囲で)

ゲストへの伝え方

「今日の症状はIPE(水中肺水腫)の可能性が高い医学的な緊急事態です。水から出て回復したように見えても、心臓・肺への影響が残っている可能性があります。今日中に内科を受診してください。ダイビングに詳しい医師への受診が最も適切です。今後のダイビング継続については、医師の評価を受けるまで中止してください。」

ダイビング再開について(SPUMS 2024)

世界基準(SPUMS/UKDMC 2024年声明)は、IPEを経験したダイバーがスクーバダイビングを継続することを強く推奨しないとしています。これはインストラクター・ショップが「大丈夫ですよ」とダイビング再開を勧めることができない、ということを意味します。必ずダイビングメディスン専門医の評価を経るよう案内してください。

「完全に検査して異常なし」と言われた後でも致死的再発が起きた事例が報告されています。再発率は22〜30%。インストラクターが再開を促すことは、法的・倫理的リスクを伴います。

インストラクターができる予防策

ブリーフィングで確認

  • 高血圧・心臓病の有無
  • βブロッカー・NSAIDsの服用
  • 過去のダイビング中の呼吸困難歴
  • 当日の体調・睡眠状態

活動設計で注意

  • 最低15分のウォームアップ
  • ダイブ開始直後の激しい運動を避ける
  • 強制減圧が必要なプロファイルを避ける
  • 高リスク者には水面酸素の準備を確認

受診先のご案内|ダイバー外来・ゆうしん内科クリニック(札幌・全国オンライン)

当院のダイビング外来は、テクニカルトライミックスインストラクター兼・内科医(DAN JAPAN DD NET登録医)が担当します。IPEを経験したゲストの方々の評価を行っています。ダイビングショップからのご紹介もお受けしています。

  • 24時間血圧モニタリング・心臓エコーの評価
  • 降圧薬の見直し(βブロッカーからの変更)
  • ダイビング適性の医学的判断
  • ダイビングメディカル(各種書類の作成)
  • 全国どこからでもオンライン相談対応
ダイバー外来の詳細を見る

電話:011-552-7000 / 予約:こちら ※ 減圧症(DCS)・耳のトラブルの相談は行っておりません